明治期漢語辞書大系 第21巻~第42巻 - 松井栄一

松井栄一 明治期漢語辞書大系

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布告必用漢語絵字引. CiNii 国立情報学研究所 学術情報ナビゲータサイニィ メニュー 検索. 語学・辞典(本・コミック)のネット通販ならセブンネットショッピング。セブン‐イレブン店舗受取りなら送料無料&24時間. 湯浅竹次郎 24.

3 第21回から第30回2. 2 第11回から第20回2. 明治政府の成立後は、政治的・社会的に全国的な統一を図るため、また、近代国家として外国に対するため、言葉の統一・標準化が求められるようになった。学校教育では「東京の中流社会」の言葉が採用され、放送でも同様の言葉が「共通用語」(共通語)とされた。こうして標準語の規範意識が確立していくにつれ、方言を矯正しようとする動きが広がった。教育家の伊沢修二は、教員向けに書物を著して東北方言の矯正法を説いた。地方の学校では方言を話した者に首から「方言札」を下げさせるなどの罰則も行われた。軍隊では命令伝達に支障を来さないよう、初等教育の段階で共通語の使用が指導された。 一方、戦後になると各地の方言が失われつつあることが危惧されるようになった。NHK放送文化研究所は、(昭和20年代の時点で)各地の純粋な方言は80歳以上の老人の間でのみ使われているにすぎないとして、1953年から5年計画で全国の方言の録音を行った。この録音調査には、柳田邦夫、東条操、岩淵悦太郎、金田一春彦など言語学者らが指導にあたった。 また、経済成長とともに地方から都市への人口流入が始まると、標準語と方言の軋轢が顕在化した。1950年. ・「明治期国語辞書大系 普21 3/飛田良文, 松井栄一, 境田稔信 編」貴館請求記号:kf3-j15. 明治期漢語辞書大系 21〜42 22巻セット/松井栄一 〔ほか〕監修・編集(言語・語学・辞典)の最新情報・紙の本の購入はhonto. 『明治期漢語辞書大系』16・30巻・別巻1(松井栄一・松井利彦・土屋信一監修・編修、1995~97、大空社)。 〈影印〉 『〈尾張文人〉津田正生』(岸野俊彦編、1996、名古屋自由学院短期大学)。. 増補漢語字解大全. 「お」と「を」(および語中・語尾の「ほ」) が同一に帰した。3が同音になったのは11世紀末頃、1と2が同音になったのは12世紀末頃と考えられている。藤原定家の『下官集』(13世紀)では「お」・「を」、「い」・「ゐ」・「ひ」、「え」・「ゑ」・「へ」の仮名の書き分けが問題になっている。 当時の発音は、1は現在の i(イ)、2は je(イェ)、3は wo(ウォ)のようであった。 3が現在のよ.

漢語が日本語に取り入れられた結果、名詞・サ変動詞・形容動詞の語彙が特に増大することになった。漢語は活用しない語であり、本質的には体言(名詞)として取り入れられたが、「す」をつければサ変動詞(例、祈念す)、「なり」をつければ形容動詞(例、神妙なり)として用いることができた。 漢語により、厳密な概念を簡潔に表現することが可能になった。一般に、和語は一語が広い意味で使われる。たとえば、「とる」という動詞は、「資格をとる」「栄養をとる」「血液をとる」「新人をとる」「映画をとる」のように用いられる。ところが、漢語を用いて、「取得する(取得す)」「摂取する」「採取する」「採用する」「撮影する」などと、さまざまなサ変動詞で区別して表現することができるようになった。また、日本語の「きよい(きよし)」という形容詞は意味が広いが、漢語を用いて、「清潔だ(清潔なり)」「清浄だ」「清澄だ」「清冽だ」「清純だ」などの形容動詞によって厳密に表現することができるようになった。 外来語は、漢語ほど高い造語力を持たないものの、漢語と同様に、特に名詞・サ変動詞・形容動詞の部分で日本語の語彙を豊富にした。「インキ」「. 25: 上下巻: 上下巻: 日本近代文学大系③: : 山田有策. 「え」と「ゑ」(および語中・語尾の「へ」) 3. 10 明治期漢語辞書大系 / 松井栄一 ほか 監修・編集 第63巻. 巴蜀書社. たまふ)や「坐」(. 動詞の活用種類は、平安時代には9種類であった。すなわち、四段・上一段・上二段・下一段・下二段・カ変・サ変・ナ変・ラ変に分かれていた。これが時代とともに統合され、江戸時代には5種類に減った。上二段は上一段に、下二段は下一段にそれぞれ統合され、ナ変(「死ぬ」など)・ラ変(「有り」など)は四段に統合された。これらの変化は、古代から中世にかけて個別的に起こった例もあるが、顕著になったのは江戸時代に入ってからのことである。ただし、ナ変は近代に入ってもなお使用されることがあった。 このうち、最も規模の大きな変化は二段活用の一段化である。二段→一段の統合は、室町時代末期の京阪地方では、まだまれであった(関東では比較的早く完了した)。それでも、江戸時代前期には京阪でも見られるようになり、後期には一般化した。すなわち、今日の「起きる」は、平安時代には「き・き・く・くる・くれ・きよ」のように「き・く」の2段に活用したが、江戸時代には「き・き・きる・きる・きれ・きよ(きろ)」のように「き」の1段だけで活用するようになった。また、今日の「明ける」は、平安時代には「け・く」の2段に活用したが、江戸時代には. 期漢語辞書大系 第41,42巻/松井.

4 第31回から第40回2. 杉村陽太郎 27. See full list on wpedia. モーシェ・フェルデンクライス 32. シリーズ名: 明治期漢語辞書大系 / 松井栄一ほか監修・編集 ; 第42巻 書誌id: bnisbn:. 漢語(中国語の語彙)が日本語の中に入り始めたのはかなり古く、文献以前の時代にさかのぼると考えられる。今日和語と扱われる「ウメ(梅)」「ウマ(馬)」なども、元々は漢語からの借用語であった可能性がある。 当初、漢語は一部の識字層に用いられ、それ以外の大多数の日本人は和語(大和言葉)を使うという状況であったと推測される。しかし、中国の文物・思想の流入や仏教の普及などにつれて、漢語は徐々に一般の日本語に取り入れられていった。鎌倉時代最末期の『徒然草』では、漢語及び混種語(漢語と和語の混交)は、異なり語数で全体の31%を占めるに至っている。ただし、延べ語数では13%に過ぎず、語彙の大多数は和語が占める。幕末の和英辞典『和英語林集成』の見出し語でも、漢語はなお25%ほどに止まっている。 漢語が再び勢力を伸張したのは幕末から明治時代にかけてである。「電信」「鉄道」「政党」「主義」「哲学」その他、西洋の文物を漢語により翻訳した(新漢語。古典中国語にない語を特に和製漢語という)。幕末の『都鄙新聞』の記事によれば、京都祇園の芸者も漢語を好み、「霖雨ニ盆池ノ金魚ガ脱走シ、火鉢ガ因循シテヰル」(長雨で池.

漢語を除き、他言語の語彙を借用することは、古代にはそれほど多くなかった。このうち、梵語の語彙は、多く漢語に取り入れられた後に、仏教と共に日本に伝えられた。「娑婆」「檀那」「曼荼羅」などがその例である。また、今日では和語と扱われる「ほとけ(仏)」「かわら(瓦)」なども梵語由来であるとされる。 西洋語が輸入され始めたのは、中世にキリシタン宣教師が来日した時期以降である。室町時代には、ポルトガル語から「カステラ」「コンペイトウ」「サラサ」「ジュバン」「タバコ」「バテレン」「ビロード」などの語が取り入れられた。「メリヤス」など一部スペイン語も用いられた。江戸時代にも、「カッパ(合羽)」「カルタ」「チョッキ」「パン」「ボタン」などのポルトガル語、「エニシダ」などのスペイン語が用いられるようになった。 また、江戸時代には、蘭学などの興隆とともに、「アルコール」「エレキ」「ガラス」「コーヒー」「ソーダ」「ドンタク」などのオランダ語が伝えられた。 幕末から明治時代以後には、英語を中心とする外来語が急増した。「ステンション(駅)」「テレガラフ(電信)」など、今日では普通使われない語で、当時一般に使. 1 第1回から第10回2. 5.明治期の国語辞典 ・『明治期国語辞書大系』(大空社, 1997-)の「普通語辞典」(普1~普21)を確認。 「ぬばたまの」「ぬばたま」や「やみ」の項目はほとんどの辞典に掲載あり。.

第2の著作です。 /11/20刊行、4刷まで来ました。 読書猿 (著) 『問題解決大全』 isbn:/12/18 電書出ました。 researchmap is an information sharing platform for the researchers. 近代以降、台湾や朝鮮半島などを併合・統治した日本は、現地民の台湾人・朝鮮民族への皇民化政策を推進するため、学校教育で日本語を国語として採用した。満州国(現在の中国東北部)にも日本人が数多く移住した結果、日本語が広く使用され、また、日本語は中国語とともに公用語とされた。日本語を解さない主に漢民族や満州族には簡易的な日本語である協和語が用いられていたこともあった。現在の台湾(中華民国)や朝鮮半島(北朝鮮・韓国)などでは、現在でも高齢者の中に日本語を解する人もいる。 一方、明治・大正から昭和戦前期にかけて、日本人がアメリカ・カナダ・メキシコ・ブラジル・ペルーなどに多数移民し、日系人社会が築かれた。これらの地域コミュニティでは日本語が使用されたが、世代が若年になるにしたがって、日本語を解さない人が増えている。 1990年代以降、日本国外から日本への渡航者数が増加し、かつまた、日本企業で勤務する外国人労働者(日本の外国人)も飛躍的に増大しているため、国内外に日本語教育が広がっている。国・地域によっては、日本語を第2外国語など選択教科の一つとしている国もあり、日本国外で日本語が学習される機会は増えつつある。 とりわけ、1990年代以降、「クールジャパン」といわれるように日本国外でアニメーションやゲーム、映画、テレビドラマ、J-POP(邦楽)に代表される音楽、漫画などに代表させる日本の現代サブカルチャーを「カッコいい」と感じる若者が増え、その結果、彼らの日本語に触れる機会が増えつつあるという。 日本人が訪問することの多い日本国外の観光地などでは、現地の広告や商業施設店舗の従業員との会話に日本語が使用されることもある。このような場で目に触れる日本語のうち、新奇で注意を引く例は、雑誌・書籍などで紹介されることも多い。. 漢語一覧表. 明治期漢語辞書大系 第21巻~第42巻. 1860年12月10日(万延元年10月28日)、摂津国御影村(現・兵庫県神戸市東灘区御影町)で、父・嘉納治郎作(希芝)と母・定子の三男として生まれる。 嘉納家は御影に於いて屈指の名家であり、祖父の治作は酒造・廻船にて甚だ高名であった。その長女・定子に婿入りしたのが治五郎の父・治郎作である。初め治作は治郎作に家を継がせようとしていたが、治郎作はこれを治作の実子である義弟に譲り、自らは廻船業を行った。幕府の廻船方御用達を務め、和田岬砲台の建造を請け負い、勝海舟のパトロンともなった。柳宗悦の母は治五郎の姉である。ちなみに同じ嘉納家ではあるが嘉納三家と呼ばれる現在の菊正宗酒造・白鶴酒造とは区別される。 1870年(明治3年)、明治政府に招聘された父に付いて上京し、東京にて書道・英語などを学んだ。. 10: 全8巻+別巻2: 別巻1,2巻: 日本児童文学史年表1: 日本文学史序説: : 加藤周一 著: 筑摩書房: 1976.

平安時代以降、語中・語尾の「は行」音が「わ行」音に変化するハ行転呼が起こった。たとえば、「かは(川)」「かひ(貝)」「かふ(買)」「かへ(替)」「かほ(顔)」は、それまで kaɸa kaɸi kaɸu kaɸe kaɸo であったものが、kawa kawi kau kawe kawoになった。「はは(母)」も、キリシタン資料では「faua」(ハワ)と記された例があるなど、他の語と同様にハ行転呼が起こっていたことが知られる。 平安時代末頃には、 1. 『仏国 民法釈義』 稲田佐兵衛ほか、1879年4月第壱巻 / 1880年12月第弐巻 / 1882年6月第参巻 『仏国 常用法』 司法省、1880年4月 / 1883年3月第二集 『仏国 常用法』 信山社出版〈日本立法資料全集〉、年6月-9月(6冊)、 ISBN,,,. 10: 大きさ、容量等: 390p ; 27cm: 注記 複製 ISBN(set): JP番号:: 巻次: 第45巻: 部分タイトル. jp こんにちは, ログイン. 毎日出版文化賞 毎日出版文化賞の概要 ナビゲーションに移動検索に移動ポータル 文学目次1 部門2 受賞作一覧2. 外史訳語 : 巻上・巻下 大森惟中, 庄原和編 大空社 1996.

若槻禮次郎 29. ます)のような語句を混ぜたり、一部を日本語の語順で記したりした「和化漢文」というべきものが生じた(6世紀の法隆寺薬師仏光背銘などに見られる)。さらには「王等臣等乃中尓」(『続日本紀』)のように、「乃(の)」「尓(に)」といった助詞などを小書きにして添える文体が現れた。この文体は祝詞(のりと)・宣命(せんみょう)などに見られるため、「宣命書き」と呼ばれる。 漢文の読み添えには片仮名が用いられるようになり、やがてこれが本文中に進出して、漢文訓読体を元にした「漢字片仮名交じり文」を形成した。最古の例は『東大寺諷誦文稿』(9世紀)とされる。漢字片仮名交じり文では、漢語が多用されるばかりでなく、言い回しも「甚(は. 弘化4・1847年(1・2巻)文久元・1861年(3・4巻)~明治続刊。『日本随筆大成 新装版』第2期14(同書編輯部編。昭和49・1974年。吉川弘文館発行。)所収。全20巻。日本随筆大成には、1~4巻が収められている。. 第40回 1986年6月21日 上智大学7号館第2会議室 英和辞書の仏和辞書に及ぼせる影響 ―『英和対訳袖珍辞書』と『仏語明要』の関係をめぐって―. 明治期漢語辞書大系 松井栄一 ほか 監修・編集 大空社,別巻3 解説/索引. 門脇誠一郎 明治期漢語辞書大系 第21巻~第42巻 - 松井栄一 16.

監修: 松井栄一, 曾根博義, 大屋幸世 全41巻・別巻解説書1冊: タイトルのヨミ、その他のヨミ: キンダイ ヨウゴ ノ ジテン シュウセイ: TTLL: und: 著者名ヨミ: マツイ, シゲカズ ソネ, ヒロヨシ オオヤ, ユキヨ. 漢語辞彙 久保得二編 大空社 1996. 漢字の字数・字体および仮名遣いについては、近代以降、たびたび改定が議論され、また実施に移されてきた。 仮名遣いについては、早く小学校令施行規則(1900年)において、「にんぎやう(人形)」を「にんぎょー」とするなど、漢字音を発音通りにする、いわゆる「棒引き仮名遣い」が採用されたことがあった。1904年から使用の『尋常小学読本』(第1期)はこの棒引き仮名遣いに従った。しかし、これは評判が悪く、規則の改正とともに、次期1910年の教科書から元の仮名遣いに戻った。.

See full list on weblio. 明治期漢語辞書大系: 著者: 松井栄一 ほか監修・編集: 出版地(国名コード) JP: 出版地: 東京: 出版社: 大空社: 出版年月日等: 1996. 大空社社 明治期国語辞書体系(全2巻)(第2回配本)明治期国語辞書体系(全2巻)(第2回配本) 最安値 ¥114,450学術図書出版 大空社 【明治期国語辞書大系】創造への軌跡学術図書出版社大空社の公式ホームページ【明治期国語辞書大系】第2期第2回配本2巻揃定価(本体109000円+税). シリーズ名: 明治期漢語辞書大系 / 松井栄一ほか監修・編集 ; 第21巻 書誌id: bnisbn:. かつての日本語には、係り結びと称される文法規則があった。文中の特定の語を「ぞ」「なむ」「や」「か」「こそ」などの係助詞で受け、かつまた、文末を連体形(「ぞ」「なむ」「や」「か」の場合)または已然形(「こそ」の場合)で結ぶものである(奈良時代には、「こそ」も連体形で結んだ)。 係り結びをどう用いるかによって、文全体の意味に明確な違いが出た。たとえば、「山里は、冬、寂しさ増さりけり」という文において、「冬」という語を「ぞ」で受けると、「山里は冬ぞ寂しさ増さりける」(『古今集』)という形になり、「山里で寂しさが増すのは、ほかでもない冬だ」と告知する文になる。また仮に、「山里」を「ぞ」で受けると、「山里ぞ冬は寂しさ増さりける」という形になり、「冬に寂しさが増すのは、ほかでもない山里だ」と告知する文になる。 ところが、中世には、「ぞ」「こそ」などの係助詞は次第に形式化の度合いを強め、単に上の語を強調する意味しか持たなくなった。そうなると、係助詞を使っても、文末を連体形または已然形で結ばない例も見られるようになる。また、逆に、係助詞を使わないのに、文末が連体形で結ばれる例も多くなってくる。こ. 1874年(明治7年)、育英義塾(後の育英高校)に入塾。その後、官立東京開成学校(後の東京大学)に進学。1877年(明治10年)に東京大学に入学した。東京大学時代には中村正直に漢文学を学び、またアーネスト・フェノロサの薫陶を受けその指導の下、政治学、理財学(経済学)、哲学、道義学(倫理学)、審美学を学ぶ。また1878年(明治11年)には漢学塾二松學舍(後の二松學舍大学)の塾生となる。しかし育英義塾・開成学校時代から自身の虚弱な体質から強力の者に負けていたことを悔しく思い非力な者でも強力なものに勝てるという柔術を学びたいと考えていたが、親の反対により許されなかった。当時は文明開化の時で柔術は軽視され、師匠を探すのにも苦労し、柳生心眼流の大島一学に短期間入門するなどした後、天神真楊流柔術の福田八之助に念願の柔術入門を果たす。この時期の話として、「先生(福田)から投げられた際に、『これはどうやって投げるのですか』と聞いたところ、先生は『数さえこなせば解るようになる』と答えられた」という話がある。窮理の徒である治五郎らしい話である。 1879年(明治12年)7月、渋沢栄一の依頼で渋沢の飛. 10 明治期漢語辞書大系 / 松井栄一 ほか 監修・編集 第58-59巻.

Series: 明治期漢語辞書大系 / 松井栄一ほか監修・編集 ; 第21巻 Catalog. 釈中の字音語を抽出し五十音順に一覧化している.本稿では『明治期漢 語辞書大系』(上記①参照)第2巻を参照した. ⑫『新令字解』(荻田嘯,1868)より,山田俊雄(1977:. 日本語 辞書 詳細は「国語辞典」を参照古代から中近世日本では古く漢籍を読むためのが多く編纂された。国内における編纂の記録としては、天武11年(682年)の『新字』44巻が最古であるが(『日本書紀』)、伝. researchmap is provided by Japan Science and Technology Agency. 佐村嘉一郎 5. 603-606)が解説 文中の漢語を約200抽出し五十音順に一覧化している.本稿では『明治. 話し言葉は、時代と共にきわめて大きな変化を遂げるが、それに比べて、書き言葉は変化の度合いが少ない。そのため、何百年という間には、話し言葉と書き言葉の差が生まれる。 日本語の書き言葉がひとまず成熟したのは平安時代中期であり、その頃は書き言葉・話し言葉の差は大きくなかったと考えられる。しかしながら、中世のキリシタン資料のうち、語り口調で書かれているものを見ると、書き言葉と話し言葉とにはすでに大きな開きが生まれていたことが窺える。江戸時代の洒落本・滑稽本の類では、会話部分は当時の話し言葉が強く反映され、地の部分の書き言葉では古来の文法に従おうとした文体が用いられている。両者の違いは明らかである。 明治時代の書き言葉は、依然として古典文法に従おうとしていたが、単語には日常語を用いた文章も現れた。こうした書き言葉は、一般に「普通文」と称された。普通文は、以下のように小学校の読本でも用いられた。 普通文は、厳密には、古典文法そのままではなく、新しい言い方も多く混じっていた。たとえば、「解釈せらる」というべきところを「解釈さる」、「就学せしむる義務」を「就学せしむるの義務」などと言うことがあっ. 「い」と「ゐ」(および語中・語尾の「ひ」) 2.

平安時代までは、発音と仮名はほぼ一致していた。その後、発音の変化に伴って、発音と仮名とが1対1の対応をしなくなった。たとえば、「はな(花)」の「は」と「かは(川)」の「は」の発音は、平安時代初期にはいずれも「ファ」(ɸa) であったとみられるが、平安時代に起こったハ行転呼により、「かは(川)」など語中語尾の「は」は「ワ」と発音するようになった。ところが、「ワ」と読む文字には別に「わ」もあるため、「カワ」という発音を表記するとき、「かわ」「かは」のいずれにすべきか、判断の基準が不明になってしまった。ここに、仮名をどう使うかという仮名遣いの問題が発生した。 その時々の知識人は、仮名遣いについての規範を示すこともあったが(藤原定家『下官集』など)、必ずしも古い仮名遣いに忠実なものばかりではなかった(「日本語研究史」の節参照)。また、従う者も、歌人、国学者など、ある種のグループに限られていた。万人に用いられる仮名遣い規範は、明治に学校教育が始まるまで待たなければならなかった。. Bib: BNISBN:. ワシリー・オシェプコフ 31.

【tsutaya オンラインショッピング】明治期漢語辞書大系 第21巻〜第42巻/松井栄一 tポイントが使える・貯まるtsutaya/ツタヤの. 平安時代から、発音を簡便にするために単語の音を変える音便現象が少しずつ見られるようになった。「次(つ)ぎて」を「次いで」とするなどのイ音便、「詳(くは)しくす」を「詳しうす」とするなどのウ音便、「発(た)ちて」を「発って」とするなどの促音便、「飛びて」を「飛んで」とするなどの撥音便が現れた。『源氏物語』にも、「いみじく」を「いみじう」とするなどのウ音便が多く、また、少数ながら「苦しき」を「苦しい」とするなどのイ音便の例も見出される。鎌倉時代以降になると、音便は口語では盛んに用いられるようになった。 中世には、「差して」を「差いて」、「挟みて」を「挟うで」、「及びて」を「及うで」などのように、今の共通語にはない音便形も見られた。これらの形は、今日でも各地に残っている。. 現代新語辞典 時代研究会編纂. 平安時代までは、朝廷で用いる公の書き言葉は漢文であった。これはベトナム・朝鮮半島などと同様である。当初漢文は中国語音で読まれたとみられるが、日本語と中国語の音韻体系は相違が大きいため、この方法はやがて廃れ、日本語の文法・語彙を当てはめて訓読されるようになった。いわば、漢文を日本語に直訳しながら読むものであった。 漢文訓読の習慣に伴い、漢文に日本語特有の「賜」(. 日本語は、文献時代に入ったときにはすでに方言差があった。『万葉集』の巻14「東歌」や巻20「防人歌」には当時の東国方言による歌が記録されている注 8。820年頃成立の『東大寺諷誦文稿』には「此当国方言、毛人方言、飛騨方言、東国方言」という記述が見え、これが国内文献で用いられた「方言」という語の最古例とされる。平安初期の中央の人々の方言観が窺える貴重な記録である。 平安時代から鎌倉時代にかけては、中央の文化的影響力が圧倒的であったため、方言に関する記述は断片的なものにとどまったが、室町時代、とりわけ戦国時代には中央の支配力が弱まり地方の力が強まった結果、地方文献に方言を反映したものがしばしば現われるようになった。洞門抄物と呼ばれる東国系の文献が有名であるが、古文書類にもしばしば方言が登場するようになる。 安土桃山時代から江戸時代極初期にかけては、ポルトガル人の宣教師が数多くのキリシタン資料を残しているが、その中に各地の方言を記録したものがある。京都のことばを中心に据えながらも九州方言を多数採録した『日葡辞書』(1603年〜1604年)や、筑前や備前など各地の方言の言語的特徴を記. .

・『近代用語の辞典集成』全41巻+別巻解説書1,松井栄一ほか監修(大空社,年) *第1期のみ附属図書館蔵 1. 活用語のうち、四段活用以外の動詞・形容詞・形容動詞および多くの助動詞は、平安時代には、終止形と連体形とが異なる形態を採っていた。たとえば、動詞は「対面す。」(終止形)と「対面する(とき)」(連体形)のようであった。ところが、係り結びの形式化とともに、上に係助詞がないのに文末を連体形止め(「対面する。」)にする例が多く見られるようになった。たとえば、『源氏物語』には、 などの言い方があるが、本来ならば「見おろさる」の形で終止すべきものである。このような例は、中世には一般化した。その結果、動詞・形容詞および助動詞は、形態上、連体形と終止形との区別がなくなった。 形容動詞は、終止形・連体形活用語尾がともに「なる」になり、さらに語形変化を起こして「な」となった。たとえば、「辛労なり」は、終止形・連体形とも「辛労な」となった。もっとも、終止形には、むしろ「にてある」から来た「ぢや」が用いられることが普通であった。したがって、終止形は「辛労ぢや」、連体形は「辛労な」のようになった。「ぢや」は主として上方で用いられ、東国では「だ」が用いられた。今日の共通語も東国語の系統を引いており、終止形語尾. ) 22 鈴木貞美, 劉建輝 編. 明治期国語辞書大系 第2期 3巻セット (単行本・ムック) / 飛田良文/編 松井栄一/編 境田稔信/編 三省堂編輯所/〔編〕 松平円次郎/著 山崎弓束/著 堀篭美善/著.

布告字類図解 増補漢語字引大全 漢語字解 増補漢語字解 布告必用漢語画字引 漢語絵字引 漢語画字引 漢和作文字類 通俗布告字類圖解 id bn長橋間右衛門著述 ; 大谷淳蔵補正. 大空社 松井栄一 松井利彦 土屋信一. 明治期漢語辞書大系 第37巻: 松井栄一他: 461: 寺村銀一郎: スウェーデンとドイツ・ハンザ: 彩流社: 1988: コピー: 伝統と近代: 川口博編: 462: 小路田泰直: 身分制解体の手法と立憲化の限界: 吉川弘文館: 1998: コピー 『国民<喪失>の近代』 463: 片山寿昭 徐水生. 2【kf3-j53】 俗語辞海 / 松平円次郎, 山崎弓束, 堀篭美善 著.

. 飯塚国三郎 3. 1: set, 第1輯1, 第1輯2, 第1輯3, 第1輯4, 第1輯5, 第1輯6.

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